《コラム》34 「人生フルーツ」

投稿日:2018.04.03

 豊劇で「人生フルーツ」という映画をみた。この映画は、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンに暮らす90歳の夫と87歳の津端夫婦のドキュメンタリー映画である。4万5千人が暮らす大規模ニュータウンの一角に平屋の家を建て雑木林の緑に囲まれたキッチンガーデンでは70種類の野菜と50種類の果実が二人の手で育てられている。

 東京大学を卒業して建築家アントニン・レーモンドの事務所勤務を経て日本住宅公団に入社する。そして公団のエースとなった津端修一さんは1960年名古屋の郊外に計画された高蔵寺ニュータウンの設計を任された。修一さんが描いたマスタープランは、地形を活かし、街の中に雑木林を残して風の通り道をつくる、夢の計画であった。しかし、時代は経済優先。ニュータウン計画は2万2千戸に8万人が住むという大規模化に向かい、山は削られ谷は埋められた。そうして完成したのは、修一さんが思い描いたものとは程遠い、かまぼこを並べたような無機質な街だった。

 1975年、津端家は高蔵寺ニュータウンに300坪の土地を購入する。「平らになった土地に里山を回復するにはどうしたらよいだろう」それが修一さんの大きなテーマだった。それぞれの家が小さな雑木林を育て、新しい緑のストックを作る。そうすることでひとりひとりが里山の一部を担えるのではないかと実験を始めた。そしてたくさんの野菜と果実を育て里山を復活させた。

 「次の世代に残せるのは、お金ではなく、何でも育つよい土」と二人は日々せっせと畑を耕す。

 この映画を観て、人の本当の豊かさとは何かということを改めて考えさせられた。当時経済最優先で建設されたニュータウンは今やゴーストタウンとなろうとしている。そして今なお、都会の真ん中では高層マンションなる集合住宅が次々に建設されている。一棟で沢山の世帯が住める部屋が全て埋まるとは限らない。新築の空き家をつくっているようなものだ。

 むかし、ある建築家が言った。すべての答えは、偉大なる自然の中にある。

 「家は、くらしの宝石箱でなければならない」モダニズムの巨匠ル・コルビュジェの言葉が心に響く。住まいつくりを生業とする私たちの責任の重さを痛感する。

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