《コラム》06 「近代化遺産」

投稿日:2014.07.10

 

近代化遺産がまとまっている所が豊岡の大開通りにある。

そのほとんどが大正十四年に起こった北但震災後に建てられた復興建築である。

 

 

現在はアーケードがつくられて見えにくくなっているが、歩道に立って反対側のアーケードの上を見ると一軒ずつデザインに特徴がある鉄筋コンクリートの建物が残っている。その代表格とも言える建物が豊岡市役所旧庁舎とその向かいにある旧山陰合同銀行である。どちらも当時の著名な建築家が設計をしている。旧山陰合同銀行の建物は国の登録有形文化財に指定されており、登録のための調査と文化庁に申請する文書作成には私も関わった。登録に当てはまる基準は「造形の規範となっている」である。今は豊岡市が買収して「豊岡1925」と名付けられ、ホテルも兼ね備えた菓子をテーマにした施設になっている。その建物がある通りには時期を同じくして建てられた復興建築が今なお数多く現役で使われている。

 

私が特に好きな建築が、豊岡1925から東へ約一〇〇メートルの所にある、「由利芳建具店」である。窓枠の縦のラインが連続しておりシャープで当時のデザインとしては垢抜けていたと感じられるが、今でも飽きのこない美しいデザインであると思う。さらにそこから東へ一〇〇メートルくらいのところに「BOB」という洋服店がある。この店は昭和四七年に新しく店を構えられたのであるが、ここの主人は店の外のデザインを周囲の景観に合わせるように壁に新しく「BOB」という文字を左官でつくられた。こういった建物は看板建築などとも呼ばれているが、一つ一つが店の特色をよく現していておもしろい。看板といえば現代では工場で製作されたものを現場で取り付けるが、復興建築は左官職人が鏝で一軒ずつ丁寧につくりあげていった。いったい誰がこんな素敵な看板をデザインしたのであろうと感心させられる。昭和二年から三年の間に大開通りの商店が一気に建てられた。相当な数の職人が携わって腕を競い合ったのかも知れない。こんな建物が数多く残っているところは日本でも数少ない。これを利用して昔のにぎわいが戻って来てくれればうれしいのだが。

 

 

 

※近代化遺産とは…江戸末期から第二次世界大戦終結時までに、近代化手法によってつくられた建築物や近代化技術を用いてつくられた構築物、工作物をいう。

 

 

140702 kindaika

 

歩道橋から撮影。
一軒一軒、違うデザインが施されている。

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