《コラム》12 「餅つき」

投稿日:2015.02.08

蒸篭の湯気で目の前が見えない。蒸し上がった餅米を杵でつぶしていく。最初はこづきといって押しつぶす感じだ。これが結構しんどい。次第に杵を高くして力強くついていく。返し手とのタイミングが合わないとリズムが狂う。一臼ずつ四種類の餅をつく。何も混ぜない白い餅、粟を入れた黄色い餅、ヨモギを入れた緑色の餅、黒豆を入れた濃い色の餅、つく順番もこのとおりにしなければならない。同じ臼でつくので色の白いものからしていかないと色が移ってしまうからである。

 

 

材料の段取りを整えておかないと失敗をしてしまう。餅米はもちろん、使っている材料は全て目坂で採れたものだ。若い人たちは粟と言えばペットの餌と思うかもしれないが、ここでは畑で食用として栽培している。ヨモギは春に新芽が出た時に収穫し冷凍保存している。自給自足を地でいっていることに少し優越感さえ覚える。田舎の暮らしは豊かである。
餅米を蒸す蒸篭は薄い杉の板を曲げて端部を桜の皮で編み込んで留めたもので、私が物心ついた後にも新調した記憶はなく、生まれる前から使っているのかもしれない。覚えているのは一度端を留めている桜の皮が破れて修理をしてもらったことだ。城南町に桶やとおしを専門に作っている職人さんがいて、修理をお願いするとその場で桜の皮を取り出してあっという間に留めてくれた。「これでまた三十年は持ちますよ」と言われわずかなお代を払った。思えば三十年くらい前のことである。今はその店はなくなっている。何気なく使っている道具であるが、今は高級品のように言われる手作り品である。当時は近くにある材料を採ってきて職人が手道具で加工して組んでいた。道具は何代にも渡って使い続けることは当たり前のことで、そのために特別に作られたものでも何でもない。
たくさん餅をつくが全部わが家で食べるのではない。故郷の味を待っている人のもとへ送るのだ。飽食の時代と言われ、一年中何でも食べられる今になっても故郷の季節を感じる味は飽きることのない心がこもった食である。田舎の暮らしで一年の最後の行事である。年の瀬に無事に餅つきが出来たことを有り難く感謝し、使った道具を丁寧に洗い、乾燥させてこれからも長く使えるように大切にしまっておく。

 

 

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大正時代から使われてきました。

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