《コラム》13 「雪国の暮らし」
大型車のエンジン音で目が覚める。窓の外を見ると昨夜来からの雪が降り積もっている。昨日帰って来たときのタイヤの跡は消えてしまっているが、新しい人の足跡がある。新聞配達人の足跡に違いない。まだ夜が明けきらず、どの家にも明かりが点いていない。
エンジン音は県道の除雪車の音だ。豊岡市内からここまで十一㌔はある。自分が目覚める時にすでにここまで来ているということは、きっと四時、五時に起きて出動しているのだろう。それは、通勤時間帯までに除雪をしておく必要があるからで、車で通勤をしている我々にとっては誠にありがたい事だ。しかし、除雪車のオペレーターの事を思うと、ご苦労様としか言いようがない。民間企業の借り上げの重機なので、朝の除雪だけが仕事ではない。除雪が終われば通常の会社の仕事をして一日が終わる。その夜降雪があればまた早朝からの出動が待っている。以前勤めていた会社でこの作業に携わっているベテランのオペレーターの方が話していたことを思い出した。「この仕事は若いもんでは勤まらん」確かに朝起きが苦手な若い人には辛い仕事である。 幹線の除雪は公費でしてもらえるが、自宅から幹線までの支線は自分達でしなければならない。車庫が遠いと大変である。以前はスコップやスノーダンプなどであけていたが、今は強い味方ができた。小型エンジン付のロータリー除雪機である。これがなかなかの優れ物で、五十㌢くらい積もった雪でも一気に十㍍くらい吹き飛ばしてくれる。二往復もすれば乗用車が十分通れるようになる。今では地区のほとんどの家庭が所有していて、雪が降った朝はあちこちから雪を飛ばす光景が見られる。 市街地から離れた山村で暮らしていると、町の人から「出勤が大変でしょうね」とよく声を掛けられる。雪がたくさん降るからそう思うかもしれないが以外と便利なこともある。幹線は朝起きるまでに除雪がしてあるので問題ない。支線の道路も田んぼや畑に接しているので雪を捨てることに不自由はない。町の中は雪を捨てるところがないので沢山降ると何処かへ運んで捨てないといけないのだ。 もうすぐ冬が終わる。雪国だけに、雪解け水が美しく、雪割りからのふきのとうの芽だしが春の訪れをより一層楽しく感じさせてくれる。
モデルハウスにて。会社に出勤しても、まずは除雪。