18 「青虫」
先日、改築工事のお客様との打ち合わせをする中で、ショッキングな話をお聞きした。
「私たち夫婦は綺麗な蝶になるのを楽しみにして、青虫を飼っていたことがあるんですよ。エサは近所の農家の方たちがつくった野菜で、虫食いの跡がある外側の葉っぱをあげていたんですが、あるときスーパーで売っている綺麗な野菜を籠の中に入れると、青虫が全部死んでしまいました。」
このご夫婦は学術的な研究をするために実験をしていたのではない。
青虫がきれいな蝶になる事を楽しみにしていただけの事である。ご夫婦もこの出来事にはショックでしたと話しておられた。
地方の町にも都会と同じチェーンのスーパーが進出していて、どこの店にも同じ商品が並べられている。そこで消費者が選別する一番の基準が、見た目の綺麗さである。まして、虫が食った跡があったり、曲がったきゅうりなど論外である。きゅうりやトマトにしても形、大きさ、色合い等よく揃っていないと店頭には並べられない。毎日食している私たちの食物は安全である事が前提である。しかし、安全の基準は消費者のイメージが優先しているように感じる。野菜につく虫は生物の序列の中で最も弱者に位置し、その虫たちが安心して食しているものは安全の証明でもある。形や色、大きさを統一するために農家はきっと基準ぎりぎりの農薬を使って努力しているのであろう。
私の同級生が地元で農業をしていて季節の野菜を市場に出荷している。ある日、トマトを出す準備をしていた。箱に詰めているトマトはまだ青いので、収穫が早すぎるのではと言うと、「これから市場に出して店頭に出るまで時間がかかる。最終的にスーパーに並んだ時に赤く色付いた状態になるから良い、赤く色付いたトマトは商品価値はゼロだ」と言う。しかし、それは太陽の光をいっぱい浴びて色付くのではない。旬の味というのは自然の中で一番美味しい状態になるのを待って食すことではないだろうか。そう考えると田舎の人たちが自分で作った野菜を旬の時期に要るだけ採って食す、これ以上の本物の食生活はないと思う。一年中何でも食べられることが贅沢とはとても思えない。豊かさの基準は地方にあるのだ。地方創生大臣が声高に唱えなくても今、この暮らしがある。
かたちが真っ直ぐでなくても、虫が食ってても、おいしくて栄養たっぷり。