桃観トンネル

投稿日:2025.01.10

 

 明治45年3月1日、山陰本線の最大の難関工事であった高さ41m、長さ310mの余部鉄橋が

完成して山陰本線は全線開通しました。しかし、これほどまでに難工事で高い鉄橋をなぜここに建設

しなければならなかったのでしょうか?その答えは鉄橋を渡った西側にある桃観(とうかん)トンネ

ルにありました。旧香住町と旧浜坂町の境にある桃観峠はかつては「百生杉」(ももうずき)峠と呼

ばれ又がうずくほどの険しい峠でした。山陰線工事の中で余部鉄橋とこの桃観トンネルを抜く事が

最大の難所で、山陰線の全線開通の鍵となるものでした。しかし峠を通す場合、標高が高くなれば

トンネルは短くなりますが、低くすれば長くなります。長さは1841m、当時の技術ではこれが

限界でした。トンネルの東口では標高80m、余部鉄橋に向かって下り勾配で餘部駅では標高

43.9mとなります。そこで高さ41mの高さの鉄橋を架けることになったのです。このトンネル

には2ケ所の空気穴(煤煙出し)があります。勾配のきついトンネルを通過するには石炭を焚いて

沢山の蒸気をつくる必要がありました。その煙を排出するために長いトンネルの中間に煙抜きを

つくったのです。機関士も大変な苦労をした事でしょう。

 4年の歳月と当時の金額で61万円の巨費を投じて明治44年2月11日に貫通しましたが、

難工事の連続で27人の犠牲者を出してしまいました。

 このトンネルの完成を祝して当時の鉄道総裁、後藤新平が揮ごうした石額が東西の入口に掲げ

てあります。115年前に建設されたトンネルが現在でも現役で使われていることに感心させら

れます。

尚、駅名が「餘部駅」となっていますが、これは姫新線に「余部駅」(よべえき)とい

う駅があります。こちらの駅が先に開設されていたので重複を避ける為にこの字を使ったものです。

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